- 0322dancingskykyc
- 6月26日
- 読了時間: 7分

Vol.03
船とひとの記憶をつなぐ場所で
石井 満 (佐島マリーナ支配人)
海は、暮らしのすぐそばにあった。
決まったルールも、マニュアルもなく、風を感じながら思い思いに過ごせる時間が、そこにはあった。
ひとと海が交わる場所を、もう一度ひらきたい。そんな想いを、佐島のマリーナで聞いた。
── 朝のマリーナで
マリーナに着くと、石井さんはロングボードを洗っていた。
「最近これを手に入れてね。仕事終わりに波を見てちょっと材木座でひと遊びしようと思ってるんだよね。」
軽く笑いながらそう話す。値段を尋ねると、驚くほどお手頃な価格にびっくり。
自分で直して使うんだよと、あっさりとした答えが返ってきた。
言葉に派手さはないが、海への親しみがにじんでいる。 この人にとって、海は“好きな場所”であると同時に、“生活の場所”なのだと感じた。
マリーナの空気は独特だ。整備中のエンジン音、風に揺れる旗、黙々と作業をする人たちの姿。
それらすべてが日常に溶け込んでいる。
その中で、石井さんも自然とそこにいた。

── 幼少期、海はすでに“暮らしの中”にあった
石井さんは、漁師の家系に生まれ育った。
「気づいたら海があった、っていう感じかな」
それは特別なものというより、生活の一部だった。
釣り、磯遊び、船、天気の変化。朝起きて父と一緒に海に出て、戻って朝ごはんを食べたら学校へ。
放課後は自然と海に集まり、波のそばで遊ぶ。海を見ながら物思いにふけることもあった。
そんな日々が、少年時代の風景だった。
日常の中には、クラスメイトとのやりとりもある。
漁師の家の子も多く、”あのあたりに牡蠣がいるんだよ”とか、”今朝はこっちの入り江に魚がたくさんいた”なんて会話が、授業中にもふつうに飛び交っていた。
頭の中には、自然と“海の地図”ができあがっていた。
放課後になると、「じゃあ、行ってみようぜ」と誰かが言い出す。教室で話していた“あの場所”へ、みんなで向かう。網を持って、素潜りして、夢中で魚を追いかけた。
見つけるたびに誰かが叫び、笑いが広がる。
それが、彼にとっての“リアル”だった。
海は特別な場所ではなく、日々の暮らしの延長線上にあるもの。
学びも、遊びも、考えることも、ぜんぶ海とつながっていた。
「理由なんてなかったけど、ただ海がそこにあることが嬉しかった」
あの時間が、今の自分の基盤になっていると話してくれた。
── マリーナという仕事に出会って
石井さんがマリーナに関わり始めたのは、社会人になってからのことだった。
「最初は、“海が好き”っていう気持ちだけだったんです」
そう話す石井さんだが、その背景には、少しずつ輪郭を持ちはじめた意思の流れがあった。
学生時代、彼はスポーツに打ち込み、努力の末に結果も出した。その経験を通して、これからは、好きなことをやって生きていこうと、自然に思えるようになったという。
当時は、まだ全国にマリーナが整っている時代ではなかった。ちょうど、時代の流れがマリーナという施設の整備を後押しし始めた頃。マリンスポーツを教える人もまだ少なく、”これからの海の仕事”に可能性を感じた石井さんは、その世界に一歩を踏み出すことになる。
彼が最初に関わったのは、マリーナをゼロからつくる仕事だった。設計、整備、運営。海辺に新しい場所を生み出し、育てていく経験は、石井さんにとって大きな学びとなった。
その後、新天地として赴いたのが愛知県のマリーナ。慣れない土地での暮らしや新しい環境に不安もあったが、そこでの日々は、海を“暮らしの場”としてきた彼にとって、また新たな視点と実感をもたらすものだった。
「マリーナって、場所ごとに色があるんですよ」
そう語る石井さんが、現在拠点としているのが、神奈川県・佐島マリーナだ。
ここでは、親から子へと船を引き継ぐオーナーも少なくない。
「僕と同い年くらいの歴史がある場所なんです」
人と船、家族の時間、そしてそれぞれの“海の記憶”。長い時間のなかで積み重ねられたものが、この場所の静かな空気ににじんでいる。
そんな場所で、石井さんは今も変わらず、海とともに生きている。

── バブル期の熱と、循環が止まったような感覚
「昔は、一日に何隻も船を下ろす“進水式”があって、毎日のようにイベントが続いていた時期もありました」
バブル景気の時代、マリーナは憧れの象徴だった。石井さんの記憶にも、船を所有することが夢だった人たちの姿が強く残っている。
「でも、そこに“好き”がなければ続かないんです」
勢いだけで大きな船を買ってしまった人ほど、不況の波で簡単に手放してしまった。
すると、憧れを抱いていた人たちも、その夢を追いかけることをやめてしまう。
「循環が止まった、という感覚がありました」
マリーナが単なる資産の置き場になってしまうことで、海の文化そのものが失われてしまう。
そうした経験は、石井さんの“これから”を考える視点にもなっている。
── PocketPortに感じた、次の可能性
そんな中でPocketPortと出会ったとき、石井さんは率直に驚いたという。
「これで起業できるのか、って正直びっくりしました」
マリーナの中にクラブをつくり、体験を通して人と海をつなぐ。
かつて自分たちがやっていた“接点づくり”が、新しいかたちで立ち上がっているのを見たとき、どこか懐かしさと希望が混じった気持ちになった。
「ただのサービスじゃなくて、あの頃やっていたことの延長線にある気がしたんですよね」
過去の知恵が、未来の試みと交差していく。石井さんにとって、PocketPortはそんな“未来への船路”のように映ったのかもしれない。
── 海を楽しむ時間は、誰かから引き継がれるもの
「結局、楽しいって気持ちが伝染していくと思うんです」
石井さんは、海での体験が“親や誰かから伝わってくるもの”だと感じている。 子どもの頃、海で遊んだ記憶。
仲間とヨットに乗った時間。そういう体験が、少しずつ他の誰かに受け継がれていく。
「僕らと一緒に遊んだ子が、大人になって自分の子どもを連れてくる。そうやってまた“楽しい”が続いていく。そんな循環ができたらうれしいですね」
海に触れた誰かの原体験が、ふたたび次の人へ手渡されていく。
それは、マリーナがただの駐艇場ではなく、“人の記憶が交わる場所”であることを物語っている。

── マリーナはただの“駐車場”ではなく
「最近は、マリーナの仕事も“動かすだけ”になってきている気がします」
船を出すときだけ関わり、あとは会話もないまま通り過ぎていく。
そういう現場が増えていることに、石井さんは危機感を抱いている。
「でも本当は、出航前に今日の海の話をしたり、最近の風のことを話したり、そういうやりとりがマリーナの大事な部分なんです」
マリーナという場所には、本来“人と人が交わる余白”がある。
ただ機能として動かすのではなく、そこで会話が生まれ、記憶が重なっていくような空間であってほしい。
その想いは、静かだけれど確かに根を張っている。

── 「楽しい」が伝染していく海で
「自分たちが楽しんでないと、やっぱり伝わらないんですよ」
石井さんがそう語るとき、声だけでなく目も笑っていた。
テンションや空気感は、船の上ではとても素直に伝わる。だからこそ、無理をせず、自分たち自身も“気持ちよくいること”を大事にしたいのだという。
「楽しいって、つくろうとしてもダメで。自然と湧いてくるものでしょ?」
ゲストの皆さんを迎えるとき、一緒にその場を味わっている様子はクルージングを体験するみなさんにもきっと体感してもらえるだろう。
夕陽に照らされた船の上で交わされたその言葉には、仕事やサービスという枠を越えた、“暮らし”としての海がにじんでいた。
── 風の方を向いて立つ、ということ
「鳥って、風の方を向いて立ってるんですよ」
そう言いながら、石井さんは海に浮かぶボートの先を見ていた。
「追い風じゃなくて、向かい風のほうが飛びやすいんです。すぐに上に跳べるから」
その言葉は、風を読むように仕事をしてきた石井さん自身の姿とも重なった。
流れの速い時代の中で、彼はいつも変わらずに海のそばにいた。
とにかく、海が好きなんだよね。 そう笑った石井さんの言葉に、静かな確かさがあった。

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